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旧松本剛吉別邸の建物
kyuu matsumoto goukichi bettei BUILDING

建物は、大正12年(1923年)頃、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家、
松本剛吉(貴族院議員等を歴任)によって建築されたもので、平成28年(2016年)3月に
小田原市の歴史的風致形成建造物に指定されました。

数寄屋風の主屋と別棟の茶室(雨香亭)、待合等で構成されており、築山や水景を伴う広い庭園と相まって
近代小田原の別邸文化を伝える遺構となっています。

主屋は、南向きの玄関をはさんで西側に来客や主人用の格式の高い主座敷やガラス張りのサンルーム等、
東側に台所や裏方の部屋を配置し、おもてなしや主人の休息の場と家人・裏方を明確に分けています。

茶室は、六畳の広間と五畳の小間から成り、両茶室は竹やなぐり仕上げ等の職人技と施主のこだわりが随所に
感じられ、間に設けられた玄関を中心に左右に角度をつけて配置されています。

また、広大な庭園内には水景が配置され、山縣有朋ゆかりの古稀庵や皆春荘に通じる特徴があるとされています。

主屋

主屋は、西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷があり、
お茶と庭園を楽しむことができる数寄屋風書院造となっています。
また、サンルームは、数寄屋風建築には珍しいものですが、三面ガラス張りで、
数寄屋仕立てで統一感があります。

さらに、主屋の至る所に「蛍壁」と「なぐり」が施されています。
「蛍壁」とは、黄褐色の聚楽土に鉄粉を混ぜた錆壁のことで、
浮き出た鯖(さび)の紋様が蛍の飛ぶ姿に似ていることから名づけられました。
「なぐり」は、木材の表面に加工をする技法のひとつです。鍬(すき)に
似た形状をした斧(おの)の一種である釿(ちょうな)により、材木の表面を削る
加工方法です。釿の原点は石器時代から存在する歴史のある工具で、ともに
数寄屋造りの建造物に好んで使われる技法です。

サンルームは、広大な庭園を展望するための工夫とされ、座敷との間に雨戸の
敷居がうかがえることから、増築されたものではないかと推察されます。
また、サンルーム内に置かれているアンティーク家具は、以前からここにあった
ものです。
松本家の後々に建物の所有を継承した岡田家は、東京で反物商を経営していた
大変な趣味人だったと伝わっており、これらの家具からは、そうした時代の
一端をうかがい知ることができます。

茶室(雨香亭)

庭園を展望するための工夫として、6畳間(広間)の床を一段上げて
視界を高くし、茶会を行ったと考えられる5畳間 (小間)の入り口にも、
にじり口を設けず、開放的な障子を据えているのが特徴です。

広間には、手摺付きの濡縁が設けられており、とても開放感があります。
また、小間についても釡蛭釘(かまひるくぎ)がないことなどの特徴から、
ここは煎茶のための茶室だったと推察されます。

松本剛吉は、茶の嗜みがありませんでしたが、取り巻く環境がお茶室を
造らせたのかもしれません。
さらに、小田原は文人の町、「小田原三茶人(益田鈍翁、野崎幻庵、松永耳庵)」
の町でもあり、煎茶は文人趣味ともいわれていたため、そのつながりもあって
茶室を設けたとも考えられます。

待合

茶室の北側の一段高い築山の上に置かれた待合は、伝統的な和風建築では
ありますが、南側の入り口の引き戸をはじめ、四方とも腰板付きの
ガラス張りとなっており、庭園の展望を重視した工夫となっています。
かつては相模湾や箱根山を望むことができました。

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